第3章 発展期

1958

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1988

第3節 企業体質の強化

4 ビル管理会社の設立

新ダイビルが起工した直後の1956(昭和31)年10月1日、当時ダイビル内で建物管理業務に従事していた3つの個人企業、すなわち建誠商会、大阪建装社、千広商会が合併して関西建物管理株式会社(現興産管理サービス・西日本株式会社)が設立された。当社の支援のもと、事業のより一層の発展と経営の合理化と近代化を進めるための合併であり、当初の資本金は30万円、従業員数は15人であった。資本金は1958年8月に100万円、1982年4月に360万円、1986年に1440万円となり、当社の出資比率は80%となった。

1963年10月25日にはビル管理に関する一切のサービス業務を行うことを目的に株式会社大阪オールサービスを設立した。同社は当初、駐車場の管理運営を主業務としていたが、その後、新ダイビル屋上樹苑、社宅や保養施設、貸別荘の管理業務も受託するようになった。1984年9月の堂島ダイビルの完成、同年10月の大阪全日空ホテルのオープンと同時にその設備管理業務を、また11月からは隣接するクラブ関西の業務も引き受けることになった。さらに1989(平成元)年1月からダイビル、新ダイビルの警備業務を受託し、逐次当社ビルの設備管理業務も担当するようになった。一方、1964年7月1日には東京営業所を開設し、日比谷ダイビルの小規模な営繕工事、八重洲ダイビルの駐車場管理などを行った。

  • 新ダイビルの清掃業務

1986年2月1日、東京で子会社として株式会社エスカを設立した。関西建物管理と大阪オールサービスの東京営業所が行っていた業務を移管した総合ビルメンテナンス会社であり、本社を日比谷ダイビル内に置いた。資本金は1000万円で全額を当社が出資した。社名のエスカはEquipment(設備保守)、Security(保安警備)、Cleaning(清掃)、Administration(管理運営)の頭文字を使って命名された。東京での業容拡大に対応していくには関西の関西建物管理、大阪オールサービスの出先機関では難しくなっていたことによるものであった。以降、日比谷、八重洲、麹町、内幸町の各ダイビルの清掃業務、保安業務、設備管理業務、蓼科山荘、三田日東ダイビルなどの総合管理業務を請け負った。1988年にはエスカの業務のなかから清掃部門、保安部門、管理人業務を分離独立させ、新たに株式会社シーエスサービスを設立したが、同社はのちにエスカに吸収された。

1986年4月1日、当社と大阪オールサービスが50:50で株式を保有していたキシ設備管理をレパックに社名変更して新たなスタートを切った。同社は1962年12月にダイビル、新ダイビルの空調、衛生設備などの修理業務を行うために設立された会社であり、1974年8月に当社が出資し、その後、創業者一族が経営から退くということで一族の全株式を大阪オールサービスが取得していた。社名はRepair(営繕)、Plumbing(配管)、Air-Conditioning(空気調和)の頭文字から命名されたもので、設備メンテナンス管理に加え営繕工事も請け負った。