第3章 発展期

1958

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1988

第1節 ビル事業の拡大

4 八重洲ダイビルの完工

1960年代以降、わが国は驚異的な経済成長を遂げ、それに伴いオフィス需要も急拡大を続けた。大阪および東京では巨大なオフィスビルが次々と新築され、それでも新たなオフィスの供給が要請された。

当社でもそうした旺盛な需要に応えるべく新たなビル建築を計画し、1963(昭和38)年9月12日に東京都中央区京橋1丁目2番地の土地1949m2(590坪)を24億円で、千代田区麹町5丁目の土地2645m2(800坪)を3億2000万円で大阪商船から取得した。まず計画が動いたのは京橋1丁目の土地であった。当社と大阪商船との間で交わされた覚書に基づき、1963年10月、大阪商船は敷地内にあった大阪商船ビルの解体を行い、当社側では東京新ビル建設委員会を設置して設計・監理を委嘱した村野・森建築事務所とともに計画を進めた。同年11月に東京都に対して建築確認申請書を提出し、翌1964年3月23日に1年以内に着工するという条件付きで認可されたのだが、これだけ急いだのは1963年7月16日に建築基準法が改正され、1964年4月1日から施行されることになったという事情からであった。これによって容積地区制度の適用を免れ、計画していた地上9階、地下5階のビル建築が可能となった。

1964年12月17日、特命発注により鹿島建設と新築工事請負契約を締結し、同月28日に起工した。完工は2年8カ月後の1967年8月25日であった。

八重洲ダイビルと命名された新しいビルは鉄骨鉄筋コンクリート造の耐震耐火構造で、地上9階、地下5階、軒高31m、塔屋の高さ43m、基礎底面の深さは―21.68mであった。延床面積が2万6723m2(8084坪)と敷地面積に対して非常に大きくなっているのは、敷地を最大限に活用するため、容積制度への移行を見越して地下部分を5階まで掘り下げたことによるものであった。

外装は1階から屋上までの柱型を熱処理による粗面仕上げの黒御影石(カナディアン・ブラック)張りとし、全体に重厚な灰褐色のなかにも気品あるたたずまいを実現した。

内部構造での特徴は八重洲駐車場との協議により八重洲地下商店街と地下連絡路で直結し、アクセスを良くしたことである。屋上には樹苑も設置した。なお、八重洲ダイビルは1969年10月、第10回建築業協会賞を受賞した。

開業は1967年9月19日であったが、折からの不況で貸室状況は非常に厳しく、ほぼ満室になるのは1969年ごろまで待たなければならなかった。