第1章 草創期

1923

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1944

第1節 会社創立

2 中之島でのビル建設用地取得

巨大な船会社に成長した大阪商船がさらに発展するには大阪の中心地に出なくてはならない。そうした観点から同社では1914(大正3)年ごろから新社屋建設用の土地を探し始めていた。いくつもの土地が検討されたが、最終的に中之島の一角を占める大阪市北区宗是町1番地(現中之島3丁目)の浪華(なにわ)倉庫の建つ土地がふさわしいと判断され、1918年12月25日、浪華倉庫から約2800余坪の土地を取得した。

中之島は堂島川と土佐堀川にはさまれた東西に長く、南北に短い土地であり、豪商だった淀屋常安によって江戸時代初期に開発された。淀屋は豊臣秀吉が天下を取った際、材木商を営み、大坂の陣では徳川家康側について陣屋を建築し、その後、市中に捨てられていた刀や槍などの残留品を一手に処分することが許されて財を成した。その莫大な富を生かし、隠居後に中之島の開発を行ったのだが、そのなかの町の一つに宗是町(そうぜちょう)があった。

宗是町は堂島川にかかる田蓑橋(たみのばし)のたもとに位置し、江戸時代の両替商・千種屋の縁者といわれる早川宗是が開発し、居を構えていたとされ、それが町名の由来となっていた。大阪商船が取得した当時は倉庫が建ち並び、大阪の中心地からはかなり距離はあったものの、富島から比べると中心地に近い立地にあった。倉庫に交じって朝日新聞社、郵便局、大学病院、逓信局などが建ち、将来的な発展の可能性を感じさせた。

大阪商船が取得した土地は早川宗是の所有から鳥取藩の蔵屋敷となり、その後、一時世界的な総合商社として名声を得ていた鈴木商店系の倉庫会社であった浪華倉庫の所有になっていた。1918年ごろから衰運に向かっていた鈴木商店は格安で土地を売り出しており、それを大阪商船が取得したのだった。

1920年2月23日、大阪商船は社内に臨時建築部を設け、同年3月に敷地の地質調査のためのボーリングを森川組に依頼し、良好との結果を得たことで新社屋建設計画は正式に動き出した。