第2章 復興期

1945

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1957

第1節 戦後復興

1 社名変更と制限会社への指定

わが国の敗北とともに戦争は終結したが、荒廃した国土と厳しい経済環境のもとで国民も企業も再出発をしなければならなかった。そうしたなか、当社は終戦直後の1945(昭和20)年10月22日、第44回定時株主総会において社名変更を決議し、従来の「株式会社大阪ビルヂング」から「大阪建物株式会社」に改称した(1992(平成4)年1月1日にダイビル株式会社に変更)。当社は新しい社名のもとで工場化されていたダイビルの復旧、金属類回収令によって供出されていたダイビル、日比谷ダイビルの諸設備の修復など、戦後復興の第一歩を踏み出した。

  • 新しい社名が入ったダイビル新館玄関

日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)はわが国の経済民主化の一環として財閥の解体に乗り出し、1945年11月24日には巨大財閥以外の私的結合体の解体に関する立法措置を指示し、政府は会社の解散の制限に関する勅令(制限会社令)を公布した。資本金500万円以上の会社および大蔵大臣(当時)の指定する会社の事業の譲渡、解散、益金の処分、資産負債の移動などを制限する法令であったが、当社の株主であった大阪商船、日電興業、住友本社が持株会社に指定された関連で当社も1946年6月4日、制限会社に指定された。

この制限会社令は、1946年4月20日の持株会社整理委員会令、1947年4月14日の独占禁止法、同年12月18日の過度経済力集中排除法の公布施行によって重要性は次第に減少し、会社再建の障害になったこともあり、1948年11月に一部改正、1949年には逐次指定の解除が行われた。当社が解除されたのは同年12月8日であった。

その間、会社経理応急措置法による特別経理会社に指定されたり、過度経済力集中排除法該当会社に指定されたりしたが、いずれも最終的に指定は解除され、従来通りのかたちで存続していくことが可能になった。