第3章 発展期

1958

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1988

第1節 ビル事業の拡大

2 ダイビルの設備拡充と第2室戸台風による被害

1952(昭和27)年に接収を解除されたダイビルは復元工事によって旧には復していたが、周辺に新築ビルが建ち始めたのに合わせて諸設備の充実とサービスの向上を図り、良質なオフィス環境の提供に努めた。

1953~1954年にかけては館内塗装と普通電球から蛍光灯への照明替え、1955年に新館サッシ改修と外装タイルの張り替え、1955~1956年にかけては本館屋上防水大改修などを実施した。

さらに1959年10月、かねてより懸案であった空調設備の大改造工事に着手したが、強固な耐震壁を多用した既設ビルに改修を施すことはきわめて難度の高い工事であった。東洋キャリア工業による工事は8カ月の工期を要する大工事となったが、1960年6月1日に完成し、その夏から全館冷房となった。

  • ダイビルから田蓑橋を望む

低地帯に位置するダイビルはそれまで何度か台風被害を受けてきたため、防潮対策を実施してきたが、1961年9月16日に大阪を直撃した第2室戸台風により大阪湾の海面が急速に上昇し、高潮は防波堤を一挙に越えた。中之島一帯は瞬く間に水没し、ダイビルでも土のうを越えて濁水が押し寄せ、1階の窓ガラスを割ってビル内に流れ込んだ。浸水は地階では天井に達し、1階では床上1.5mに達した。

当社では台風通過後ただちに水害対策本部を設け、従業員の力を結集して復旧を目指した。昼夜兼行で応急復旧作業を続け、1週間程度でテナントの業務に支障のない状態にまで回復したが、完全な復旧ならびに改修工事には約1年を要した。その後、新たな防潮対策として各出入口の金庫式扉や防潮パネルの設置、本館北側の商社出入口と本・新館1階北側窓の鉄筋コンクリートでの閉鎖、ドライエリア外周に強固な防潮壁といった大々的な工事を行った。

この被害によって当社は1948年の非戦災家屋税の負担による赤字以来2度目の赤字を余儀なくされたが、人命の被害がなかったのは幸いであった。