第3章 発展期

1958

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1988

第1節 ビル事業の拡大

10 三田日東ダイビルの完工

当社は東京で目覚ましい発展を遂げていた第一京浜国道沿いの三田界隈に注目し、1982(昭和57)年9月20日、東京都港区三田3丁目の土地613m2(185坪)を取得した。しかし、この土地だけでは有効活用が望めないため、隣接する613m2(185坪)を所有する日東機器と共同でオフィスビルを建築するという話し合いを進め、同社と「共同ビル建設に関する基本協定書」を締結したが、それでも十分な広さを確保できたわけではなかった。そこで、さらに隣接する土地327m2(99坪)を当社が60年の長期借地(1987年3月31日に当社が取得)をすることとし、これによって建設計画は前に進むこととなった。持分比率は当社が60.532%、日東機器が39.468%となった。

1983年7月、日東機器の推薦を受けて設計・監理を鬼頭梓設計事務所、施工を鹿島建設に発注し、1984年3月1日に三田日東ダイビル建設プロジェクトチームを編成して建築をスタートさせた。1985年5月10日に起工式を行い、1年4カ月後の1986年9月25日に完工を見た。完成した三田日東ダイビルは当社にとって内幸町ダイビルに続く2棟目の共同ビルとなった。

構造は鉄骨鉄筋コンクリート造、地上8階、地下1階で、外装は薄いグリーンを帯びたタイル打ち込みPC版で、東西両面に配されたテラスと相まって落ち着いた外観を形成した。

地下は2段機械式駐車設備によって25台収容可能なガレージとした。なお、ヒートポンプ方式による冷暖房をはじめ各機器は日比谷ダイビルにある中央監視装置に接続され、遠隔制御とプログラム運転を実現し、夜間・休日は無人でのスタートとなった。さらに1992(平成4)年1月からは機械警備システムの導入によって保安要員の宿直も廃止し、夜間・休日の完全無人化を実現した。

もともと当ビルは1986年からスタートする日比谷ダイビル建て替えによる、同ビルに入居しているテナントの受け皿として使用することが予定されていたため、開業当初から満室状態となった。1989年10月に新しい日比谷ダイビルが完工するとテナントは同ビルに移転していったが、テナント誘致活動により住友金属工業(現日本製鉄)、キヤノン販売(現キヤノンマーケティングジャパン)などの優良企業が新たに入居した。